そうだ赤線跡、行こう。①

ある日、突然思い立った。

「そうだ赤線(跡地)、行こう」

晩夏、曇天の日だったのを憶えている。

”タイル張りの柱”や”R型の屋根”、”異様に狭い2階建ての呑み屋”に対して執着にも似た気持ちを持つようになったのは、その日からだ。

 

赤線とは、
公娼廃止指令(1946)から売春防止法施行(1958)まで、暗黙の了解として公認されていた売春地域のことである。
この12年の間、かつての妓楼や銘酒屋は”特殊飲食店”として風俗営業の許可を取り、
カフェーや料亭・料理店に名目のみ鞍替えした。
娼妓たちも女給へと名を変え、自由恋愛と称して色を売るようになった。

”特殊飲食店”は飲食店ではあるが、許可を与えるのは保健所ではなく警察であった。
この荒唐無稽さが面白い。
許可を警察から得られた店は、鑑札を店先に掲示する必要があった。
「警視庁」 「東京都公安委員会」と表記された滑稽な鑑札は今も尚残されている。
これらは歴史の名残である(欲しいぞw)。
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売春防止法施行後、特殊飲食店は廃業を余儀なくされ、本来の呑み屋や食事処へ転換する者が多かったと聞く。

当時の面影を残した建物が割烹料理屋として現在に至るまで生き続けている。
昔の鑑札を掲示し続けているのがなんとも粋だ。
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まん防が解除されたらもう一度行こう。

遊郭として現役であった頃を想像しながら熱燗で一杯やりたい。

 

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