そうだ赤線跡、行こう。② 小鳥の町 藤沢新地
藤沢新地 藤沢市辰巳町
藤沢にはかつて特殊飲食街が存在していた。
俗に言う赤線である。
それより以前は藤沢遊郭として周知されており、
江戸時代には区内の旅籠屋で飯盛女(遊女)が男たちの相手をしていたという。
今では呑み屋が数店舗残っている程度である。
①小鳥の街
少しばかりファンシーな印象を受ける地名。
旧藤沢新地の呑み屋群の呼名である。
「ひよ子」「せきれい」といった鳥に因んだ店名が軒を連ねている。
折角なので一杯吞んでいくか、と暖簾をくぐってみた。
②スナック 「ひよ子」
キリンビールを頼むと、
傘寿を迎えるという店主が酌をしながら当時のことを語ってくれた。
福岡出身の店主は脱サラをして半世紀近く前にこの土地で店を始めたそうだ。
「当時は呑み屋が400件以上並んでいた」
「客の取り合いで頻繁に喧嘩をしていた」
「店の戸のガラスが割られることなんて茶飯事」
話好きな性分なのだろう。興味深い話を淡々と語ってくれた。
一通り話し終えた店主がそっけなく放った一言が印象的だった。
「もう昔の話だね、若い人が少なくなったし」
赤線ネタに話を戻そう。
ひよこの店主曰く、”小鳥の街”自体は赤線ではないが、道を挟んだ反対側の呑み屋街は2階建ての建物が多く、それらは特殊飲食店(赤線)であったとのこと。
取り壊される前の旅館「仙成旅館」「松竹旅館」
google mapから2010年の画像を引用
小鳥の街の真向かいに位置していた。
赤線時代は連れ込み宿として数多の男女が逢瀬を重ねていたのであろう。
旅館と特殊飲食店は既に取り壊され、今はマンションが建っている。
だが、お稲荷さんだけは当時と変わらずに祀られている。
赤線・遊郭跡地にはお稲荷さんを祀っている神社が多い。
このあたりは別の機会に述べたいと思う。
③藤沢仲好会飲食業共同小組合
小鳥の街から歩いてすぐの呑み屋街”仲好会”。
この地域は赤線であったそうだ。
如何程の”仲好しさん”が一夜に誕生したのだろうか。
小鳥の街
このような地名がついた所以は分からない。
不自由な小鳥の運命を売春婦に重ね合わせたのだろうか。
既に鬼籍に入っているであろう彼女たちが天国で自由に飛び回っていることを願う。