『下品で最低』ことGEHISAIを原宿で観てきた!

『下品で最低』通称『GEHISAI(ゲヒサイ)』という、18禁の展覧会を原宿で観てきた。開催場所は、「全てのアーティストのためのギャラリー」をうたうデザインフェスタギャラリーで、この度で5回目となる。わたしがこのイベントを知ったきっかけは、オナホに情熱を費やす店こと『ホットパワーズ』略してホッパ主催のクラウドファンディングだった。 【ホパウドファンディング9】 18歳未満入場禁止展覧会「下品で最低 5」を盛り上げたい! 【2/28まで】 https://t.co/nV1ZuNaT08 始まりました!みんなで成功させよう!!大人の学園祭を楽しもう!!ご支援お待ちしております!!#下品で最低 pic.twitter.com/EMRucIlQB2 — ホットパワーズみくら👺3/31下品で最低配信&3月卒業 (@hop_mikura) January 21, 2022 そもそもオナニーホールって、男性向け(男性器を女性器へ挿入する型になっている)アダルトグッズなのに、どうしてわたしがそこのTwitterをマークしているか……? というのは説明がややこしくなるので省くが、ともかく、いつだって全力でエロを楽しむホットパワーズが応援している団体なら面白いに違いない!とおもってクラファンのリターンを即確認した。追加特典も含めリターンの種類は9つ。そのうち、わたしが選んだのは『オナホラークショップ参加券5,000円』だった。ホッパのベテラン工場長が指導をしてくれるという。萌える。 【リターン5】 「下品で最低5」オナホワークショップ参加権 5,500円 →3/20(日)に開催予定のオナホワークショップに参加できます。自分でオナホールを作れるチャンス!! 指導はホットパワーズのベテラン工場長が致します。https://t.co/nV1ZuNaT08 pic.twitter.com/CPCdPCPD7b — ホットパワーズみくら👺3/31下品で最低配信&3月卒業 (@hop_mikura) January 21, […]

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そうだ赤線跡、行こう。② 小鳥の町 藤沢新地

藤沢新地 藤沢市辰巳町藤沢にはかつて特殊飲食街が存在していた。俗に言う赤線である。それより以前は藤沢遊郭として周知されており、江戸時代には区内の旅籠屋で飯盛女(遊女)が男たちの相手をしていたという。 今では呑み屋が数店舗残っている程度である。 ①小鳥の街少しばかりファンシーな印象を受ける地名。旧藤沢新地の呑み屋群の呼名である。「ひよ子」「せきれい」といった鳥に因んだ店名が軒を連ねている。折角なので一杯吞んでいくか、と暖簾をくぐってみた。   ②スナック 「ひよ子」キリンビールを頼むと、傘寿を迎えるという店主が酌をしながら当時のことを語ってくれた。福岡出身の店主は脱サラをして半世紀近く前にこの土地で店を始めたそうだ。「当時は呑み屋が400件以上並んでいた」「客の取り合いで頻繁に喧嘩をしていた」「店の戸のガラスが割られることなんて茶飯事」 話好きな性分なのだろう。興味深い話を淡々と語ってくれた。一通り話し終えた店主がそっけなく放った一言が印象的だった。「もう昔の話だね、若い人が少なくなったし」   赤線ネタに話を戻そう。ひよこの店主曰く、”小鳥の街”自体は赤線ではないが、道を挟んだ反対側の呑み屋街は2階建ての建物が多く、それらは特殊飲食店(赤線)であったとのこと。 取り壊される前の旅館「仙成旅館」「松竹旅館」google mapから2010年の画像を引用小鳥の街の真向かいに位置していた。赤線時代は連れ込み宿として数多の男女が逢瀬を重ねていたのであろう。   旅館と特殊飲食店は既に取り壊され、今はマンションが建っている。だが、お稲荷さんだけは当時と変わらずに祀られている。赤線・遊郭跡地にはお稲荷さんを祀っている神社が多い。このあたりは別の機会に述べたいと思う。 ③藤沢仲好会飲食業共同小組合小鳥の街から歩いてすぐの呑み屋街”仲好会”。この地域は赤線であったそうだ。如何程の”仲好しさん”が一夜に誕生したのだろうか。     小鳥の街このような地名がついた所以は分からない。不自由な小鳥の運命を売春婦に重ね合わせたのだろうか。既に鬼籍に入っているであろう彼女たちが天国で自由に飛び回っていることを願う。      

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映画チラシの地層学③

今回は、映画がリバイバル上映される経過での映画チラシの変容について話したい。 ちなみに、映画チラシは一般的に、その映画が古くなれば古くなるほど”初版”と呼ばれる1回目の上映期間に刷られたチラシの価値は上がる。そしてリバイバル上映の回数が少ないほど、つまり3回目のリバイバルより、2回目のリバイバル上映のチラシの方が高くなるものだ。 そして、リバイバルを重ねるごとにその映画チラシもその時代特有の紙、印刷技術、デザインで作りなおされたりするので、推しの映画のリバイバルごとのチラシを集めるのもまたマニアの楽しみでもある。 この同じ映画チラシの変容の妙についてボクが持っているチラシから紹介しよう。 まずは以下の1961年制作、アラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」のチラシをご覧いただく。 上段左端のチラシが1964年の日本初公開時のものである。 サイズは、180m×100mmでB7サイズより一回り小さいサイズであり、現在一般的なチラシのB5サイズ(182mm×257mm)からすると、結構小さい感じである。そして紙質はゴワゴワした感じのわら半紙的なもので、色は単色である。 真中のチラシは左端のものより少し後に出たようだが、映画の公開年は不明。サイズは182mm×128mmでB6サイズである。左端の初版のチラシよりは一回り大きいが、紙質は左端と同じわら半紙タイプで単色である。なので、年代的には初版のチラシと同じ1960年代だったと思われる。 そして、右端のチラシが1983年公開時のものである。80年代にはすでにおなじみの182mm×257mmのB5サイズとなり、紙質もわら半紙ではなくなり良い紙質になっている。80年代はサブカルチャーの全盛期で、哲学的だったり文学的だったり難解だったり斬新だったりするアート作品をポップにファッショナブルに楽しむサブカルチャーが一気に大衆化していく時代であった。なので、この「去年マリエンバート」という文学界のヌーボーロマンの旗手アラン・ロブ=グリエが脚本し、映画界のヌーベルバーグの一人アラン・レネが監督した、このシュールで難解な作品が待ってましたとばかりリバイバルされた時代である。当時、西武系デパートのテレビコマーシャルで「去年マリエンバートで」の庭園シーンが使われていた。 80年代の方は、デザインも左側二つの60年代の主人公の顔つきだけを強調する、大人のドラマ性のあるものと違い、チラシ半分に、不思議なイメージで人間が立ちどまっている庭園が協調され、映像的感性にうったえるようになっている。 そして、最後の2段目のチラシは、一番新しく2019年リバイバル公開時のもので、4K・デジタルリマスター版ある。サイズは現代の映画チラシサイズのB5サイズであり。デザインも、立姿の女性が銅像のように立体的にきれいに映っていて、フィルムを刷新して4K・デジタルになりました的な現代感が出ている。     つづく

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映画チラシの地層学②

今回は、”映画チラシ”に印字されている”映画館名”の話をしたい。 映画チラシにとって、「~映画館」という映画館名が印字されているかどうかは、大事なポイントである。 なぜなら、映画館名が入っていることによって、そのチラシは実際のその映画館に”置かれた”本物のチラシというエビデンスを得るからだ。 参考に以下の映画「ブギーマン」のチラシを見て頂きたい。 左端が、チラシの表で、真中と右端が、チラシの裏面で、映画館名が印字されているバージョンとされてないバージョンである。そして、チラシの価格も当然映画館名が入っている方が高くなる。 映画館名の有り無しは、エビデンスに関わるが、チラシのデザイン自体には普通は影響ない。 なので、映画館名に拘らなければ、映画館名無しで安ければ、そっちの方がいいというチラシマニアもいるだろう。 しかし中には、映画館名が入らないと、チラシのデザインにダメージを与える場合がある。以下の「エクソシスト」がその例である。                     右の「エクソシスト」のチラシは上部の白い空きスペースに、本来は左のチラシのような映画館名とそれに携わるキャッチコピーが印字されるはずだったが、入らないままで世に出回ったものである。それにしてもここまで白い大きなスペースが空いたままのデザインで出回るというのは珍しい。 ボクは最初はもちらろん、映画館名が入った「エクソシスト」の左のチラシを買ったが、あとからあえて不格好に白い空白があいている右の「エクソシスト」のチラシの方も、そのレア感から手に入れたいと思い買ってしまった。   次に”東京音協”、”東京労音”というエンタメ関連の運営・チケット販売等とおこなっている組織が映画館名をを入れたバージョンのチラシをご紹介する。       […]

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映画チラシの地層学①

“映画チラシ”とは、そう映画館に行くとロビーに置かれている上映予定の映画宣伝のための宣材紙(チラシもしくはフライヤー)のことである。 その”映画チラシ収集”の話をしていこうと思う。   とりあえずは、その歴史を紹介する。 戦前から戦後1950年代くらいまでは、映画チラシの紙質は、わら半紙のような材質であった。 そして、60年代後半までに印刷もカラーになり、サイズも宣伝画像をなるべく大きく、でも邪魔にならずに持って帰りやすいB5サイズという今では定番の大きさの”映チラシが出来上がった。 そして70年代、映画チラシがデザイン的に魅了し、保存しておきたいというこの”紙”の魅力が熟し、”映画チラシ”ブームが、主に若者や子供対象にやってくる。 ブームに火が点いた映画チラシは、古本屋や、もしくは専門の映画チラシ店舗や、通販などで売られるようになった。 当時、最新の上映映画のチラシはすぐに手に入るため安く、100円くらいで、昔の有名な人気映画とかは数千円から数万円まで、ピンキリであった。 そしてチラシマニアは、自分の好きな映画や、好きな俳優、推しのシリーズ映画等々、各々のコダワリでチラシを集めたり、チラシ仲間と交換したりなどするようになった。 ある意味、昔の子供がやっていた”面子(メンコ)”、今の子でいえば”ポケモンカード”に近いところもあるかもしれない。チラシに勝ち負けのゲーム要素はないものの、チラシは宝モノとしてコレクトされ、相手に自慢し、ときにはトレードするモノとなった。 そして、ブームは80年代に勢いを増す。 70年代~80年代にかけて、流行していた映画である「007」シリーズ、「水拳」「笑拳」などのジャッキー・チェンの出演映画シリーズ、「スターウォーズ」シリーズなどの映画チラシが人気を博していた。 今とちがって、インターネットもパソコンもなかった時代なので、子供のメディアとしての娯楽は、テレビ、漫画、と並ぶくらいに劇場映画があった時代なので、映画チラシは映画マニア、特に若者や子供の層に人気を博していた。 そして、その頃「スクリーン」や「ロードショー」といった、洋画中心とし、海外の人気俳優をグラビアモデルのように紹介するポップな映画雑誌が台頭してくる。それらの雑誌が付録として、映画チラシの印刷セット、たとえば「007」の最新の作品までのシリーズセットなどを付けていた。ちなみに、それらのチラシはあくまで付録のために印刷されたものであり、本物のチラシではない。それゆえ、映画館に置かれると印字されるはずの映画館名がなかったり、細かい字の部分がインクの滲みが出ていたりしていた。 そして、90年代に入ると、徐々に映画チラシブームは、下火になっていき、2000年代からは、ブームはなくなったといえるだろう。 時に、インターネットやパソコンが普及し、ゲームやネット動画といった新たなメディア文化が花開いていき、同時に足を運んでみる劇場映画の文化は下火になり、必然的に映画チラシのブームも無くなるわけだ。 しかし、ブームはなくなったとしても、映画チラシ愛好家は少数ながらも存続し、チラシ探しはもっぱらヤフオクなどのネットで簡単に検索でき、外へ探しに出かける手間もなくなった。また個人で所有するチラシをネットで売る人も増え、ブームは過ぎたとて、マニア的にチラシの売買が格段としやすくなっている。   つづく    

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